雑記

その時々で、適当に書いてきます。

悲観主義は気分によるもので、楽観主義は意志によるものである

お久しぶりです。気付けば2ヶ月以上更新してなかったんですね。相変わらず、元気にやってます。

みなさん、ゴールデンウィークはいかがお過ごしですか。海外とかリゾート行ってる人めちゃ多いっすね!自分は、本当に半径1キロ圏内で完結しそうな勢いです。

コナンの映画見て、撮りためたアンナチュラルとコンフィデンスマンを見て、大量のバラエティを流し見しながらずっと本読んでます。幸せ。
ついにジム登録しました。明日プロテインが届きます。マジで痩せる、マジで痩せる、マジで痩せる。

振り返ってみると、1〜3月は比較的順調に戦えてたんですが、4月は結構いろんな壁にぶち当たったなーと思います。
リスク思考の弱さ(楽観主義の反作用)で問題を回避できなかったり、各論まで落とし込む精緻さがなくてグズグズになったり、改めて自分はチームで動くのが苦手なんだなぁと痛感した1ヶ月でした。(自分の手の届く範囲で、自分のペースでやってしまいがち)
仮にその方が早かったとしても、このままじゃ遠くまでは行けないなぁと思うので、もっともっと協働スキルを磨かなきゃなーと。

ただ、うまくいかないなりに成長を感じたのは、壁の存在を前向きに受け止められるようになったこと。昔だったら、『どうせ自分には無理だし』『そんな才能ないんだから仕方ない』とか、クソみたいな言い訳並べて逃げてたと思うんですが、『上等だこの野郎、乗り越えてやらぁ!』というマインドでい続けられたのはとても良かったです。


何のストレスもなく、うまくやれているということは、出来ることしかやってなくて、成長も生きがいもないよね、みたいなことがやっと腹の底に落ちてきたんだなと感じます。

うまくいかないことが問題なのではなく、そこと向き合い戦えていないことの方が問題なんだと。


今日のタイトルは、アランの『幸福論』の有名な一節ですが、本当にそうだなと思います。ポジティブかネガティブかというのは、先天的で変えられない性格ではなく、他ならぬ自分自身が選択しているライフスタイルなんだと思います。

もちろん、それぞれに異なる境遇があり、環境があり、背景・文脈は十人十色ですが、悲観主義の人はネガティブでいることから何らかの利得を得ている。アドラーの目的論そのままですが、状況を憂いて、愚痴を吐いて、一歩も前に進まないこと自体をその人自身が欲している。

 

そう考えると、世の中のリーダーと呼ばれる類の人は、すべからく楽観主義なのではないかと思えてくる。もちろん、リスクフォーカスが強く、精緻に戦略戦術を編み上げる人もたくさんいると思うけど、『自分が描いたゴールを本気で目指し、チームを動かしてコトを成す』という点に関して言えば、全員ができない理由ではなく、やれる方法を考えている。

どんなに苦しくても、辛くても、逃げ出したくなるほどの逆境に追い込まれても、笑って前を向き、上を目指し続けるのがリーダーのあり方なのかなと思います。

最終的には、そういう人の周りに人が集まり、チームができ、何かを成し遂げるのだろうな、と。

 

そんなこんなで、いったんどんな時でも前向きに、笑顔を忘れずに突っ走っていきたいなと思っている今日この頃です。