雑記

その時々で、適当に書いてきます。

多分死ぬまでELLEGARDENを卒業できない

多分最初にまともに触れたのは、2006年のNANO-MUGEN Festival(アジカン主催のロックフェス)。ロックバンドなんてほとんど聞いたことがなくて、フェスが何なのかもよく分からないままに、友達に誘われるがままに横浜アリーナに。

事前にデータをもらってちょっと聞いてたけど、ぶっちゃけほぼ知らないまま初めてライブで見たのがELLEGARDENだった。

最前ブロックで揉みくちゃにされながら、ダイバーの続けざまのキックからメガネをなんとか守り、『ああ、なんかやばい、これはなんかやばい』と思いながらライブを見ていた。

今検索してみると、1曲目が「Space Sonic」で、「Supernova」〜「虹」〜「Missing」と来てからの、発売前の「Salamander」をカマして、ラストは「ジターバグ」〜「Red Hot」〜「Make A Wish」でフィニッシュするという、お願いだからもう一度見させてくれと懇願してしまう神ライブだったようで。もったいないことをした。

 

それはさておき、それからはもう貪るように聞いていたのを覚えている。中でも「The Autumn Song」なんかもうずっとリピートしていて、大したことない自分の感傷を投影して、サビを聞き込んでいたように思う。

好きな音楽はたくさんあって、墓場でも聞きたい曲も数え切れないほどあるけど、聞いた瞬間にいろんな記憶がかき乱されて、みぞみぞした気持ちにさせられる曲は、どれを取っても10代後半から20歳前後に聞きまくっていた曲な気がする。

 

これは音楽だけじゃない気もしていて、自分の中ではラーメンズ矢野絢子クドカン石田衣良バガボンドRADWIMPSもワンピースもそうなのかもしれない。

『人間の体は食べたものでできている』なんて言うけど、もしかしたら心も一緒なのかもしれない。世界の切り取り方、物事の受け止め方、言葉の貼り付け方などなど、意識する・せざるに関わらず、自分が見たもの・読んだもの・聞いたもので価値観と言語体系が編み上げられている。

だから、何度トライして滑ったとしても、自分が憧れて心奪われた表現者のような引っかかりのある言葉を使いたくなってしまうし、週間少年ジャンプのような剥き出しの感性を持っていたいと思ってしまうし、そんなジャンプをモチーフに絶妙に一曲書き上げちゃう野田洋次郎にいいようにされるし、このへんはもう永遠に逃れられないのだと思う。

 

ただ、『思春期という多感な時期バイアス』があったとしても、食べたもので体が作られている理論に則れば、これから食べるもので未来の心の有り様はなんとでも変えられるのかもしれない。

としたら、美しい映画をたくさん見たいし、人間の光も闇もぶつけてくれるような小説や映画にたくさん触れたいし、喜怒哀楽を託せるような音楽をたくさん聞きたい。

そしてその先で、自分の言葉や存在で誰かを力づけられたらと思う。『ちっぽけでありふれた自分』は決してナンバーワンでもオンリーワンでもないけど、それでもいつかどこかで『これは誰がなんと言おうと自分にしかできなかった』と思える一歩を刻んで死にたい。まだ全然死にたくないけど。

『自分は何者でもない』という冷めた視線と、『それでも自分の存在には意味がある』という内なる炎が混じり合うところに、本当の幸せみたいなものがあるような気がしている。

そんな瞬間を少しでも長く生きられたら。そんなことを考えている。

 

 

書けば書くほどポエマーでやばいんだけど、『感じること』と『言葉にすること』を大事にするためにブログを始めたので、コンプラに抵触しない範囲でぶちまけていくこととします笑。

やっぱり麦わら海賊団を作りたいし、チームラボに憧れる

ブログ始めてみました。三日坊主上等で、書きたいことができた時に不定期で書こうかなと。気が向いたら、ご笑覧ください…。

 

突然ですが、就活生の時、『将来何をしたいんだ』『何を実現したいんだ』みたいな質問を浴びせられる中で、ふと閃いてピタッときたものがあった。

『まったく異なる領域のプロフェッショナルが集まって、あらゆる課題解決に取り組むファームを作りたい』みたいなことだったと記憶している。

例えるなら、医者とピアニストと商社マンがそれぞれの知見を持ち寄って空間デザインをし、編集者とエンジニアとシェフが組織コンサルをやっていくような。

荒唐無稽だけど、『異質な個が領域を超えてぶつかり合い、誰も見たことのないものを生み出す』みたいなコンセプトに『なんかいいぞ!面白そうだぞ!』となったのを覚えている。

 

急に飛躍するけど、多分このイメージの根っこにはワンピースがあって、アーロンパークが大きな影響を与えている。

(以下引用、10巻より)

アーロン『海に沈んでも一人じゃ上がってこれねェ様なてめェに何ができる‼︎!』

ルフィ『何もできねェから助けてもらうんだ‼︎!おれは剣術を使えねェんだコノヤロー‼︎!航海術も持ってねェし‼︎!料理もつくれねェし‼︎ウソもつけねェ‼︎おれは助けてもらわねェと生きていけねェ自信がある‼︎』

アーロン『そんなプライドもクソもねェてめェが一船の船長の器か‼︎?てめェに一体何ができる‼︎!』

ルフィ『お前に勝てる』

 

これ、これ、これなんです。

どんなに綺麗事だと言われようが、絵空事だと思われようが、この世界観を諦められない。

すべての人にその人にしか出来ないことがあり、その人にしか出せない価値がある。

凸凹を補い合うからこそチームでやることが面白く、難しく、切なく、歯がゆく、尊い

 

最近組織を作っていく上では、『役割と居場所をいかにデザインするか』が超大事なのでは、と思ってます。

役割は、組織全体の成果を生み出すために一人一人に与えられるもの。言い換えれば構成員としての組織への約束であり、全体の生産性・効率性を保ちつつ、『その人にしかできない』という代替不可能性をいかに高めていくか。

居場所は、成果が出ようが出まいが、バリューが出ようが出まいが、『あなたはここにいていいのだ』と感じられる文脈やコミュニケーション。ビジネスにおいて、構成員はバリューが出なければ無価値であるとされがちだけど、そうじゃないんだと。あなたの存在は組織目的を実現するための手段ではなく、あなた自身が目的なのだと感じさせること。

(えげつないフリーライダーが多発したら元も子もないので、一定のモラル・良識が共有されていることが前提ですが)

 

戻りに戻って、多領域・多業種プロフェッショナルファームは、ワンピースととても似ていて、船長・剣豪・航海士・狙撃手・コック・医者・考古学者・船大工・音楽家と、全員が異なる役割を担っている。

自分にしかできないことがあることが自信と誇りになり、補ってくれる仲間がいることが安心感になり、チームが居場所そのものになっている。

ひとりひとりを機能として見なしていないから、誰も裁かないし、裁かれない。誰も存在を否定されない。(真逆がアーロンパークのナミですね)

『所詮漫画だ、ユートピアだ』と切り捨てるのは簡単ですが、それでも僕は麦わら海賊団こそ理想の組織だと思うのです。

 

猪子さん率いるチームラボは、多分それを超アグレッシブにやってるんだろうなと。

エンジニア、数学者、建築家、デザイナー、絵師、編集者など、様々な領域のものづくりのスペシャリストが集い、それぞれの専門性を爆発させて、新しくて面白くてヤバイものを生み出してる。

コンセプトと世界観が本当にカッコいい。

憧れる。

 

ただ、今の自分に急に引きつけると、『いったんすげー仕事頑張って、個力を高めて、スペシャリストとして腕を磨く』ことに尽きるなと思ってます。

組織人事の領域に足を踏み入れて4年弱、まだまだ力不足を感じる日々ですが、とにかく力をつける一年にしたいと思います。